開会式場には何時間立ち尽くしたであろうか最後に日本の選手団が足並みを揃え入場してきた。グランドサイドのグリーンの箱は何だろうとなぜか気になっていたけれど終了時に鳩が数百匹放たれた。
この年、吉永さんは岸宏の後をついて滑っていました。そして、3月の末日に吉 永さんは東京に帰りました。その翌日、4月1日にスクールの若い者が「宏さん、 吉永さんからお電話です」と宏を呼びに行きました。
宏はそれは嬉しそうな顔をして2階から降りてきました。昨日までのお礼の電話 でもかかったと思い、受話器をとりあげ「もしもし」・・・
何の返答もありません。切れてしまったのでしょうか。 いえ、宏はエイプリルフールに引っかけられてしまったのです。いやぁ?、見事 なもんでした。22年も前の話です。 若山邦紘
44年前、1964東京オリンピック開会式前日、思わぬところから開会式のチケットが手に入り愛機ミノルタを片手に夜行列車に飛び乗った。早朝会場には人影もなく入り口付近でウロウロしていると新聞社に勤めていた同級生の奥山君とバッタリ出くわした。こんなに早く来なくてもいいのに・・・・・と思われたような気がした。が、つい最近彼に確かめると会った記憶がないという。 座席は聖火台の左隣で周辺外国の方で埋め尽くされていた。その年のシーズン、スキースクール開校の為の準備で英三先生留守のパラダイスロッヂに入った。
日本中を走った聖火リレーはわが町(湯沢市)を走りぬけ山形に向かった。秋田県境にある雄勝トンネルを抜け出したランナーはスクールの乾燥室で働いていた事のある藤田昭一君。
ドカ雪の冬も終わりやっと暖かい春がやって来た。英三先生も益々お元気で愛車ボルボに飛び乗り遅めのお昼を召し上がりにやってきた。
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