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塩川カメラマン

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 スキーカメラの難しさはコース取りが大切です。ある程度構図が決まれば【このコースを滑ってきて欲しい】とコース指定するのもひとつの方法です。彼は蔵王のコースや条件を知り尽くしている。その為にも常日ごろトレーニングを欠かさない。    渡邉

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コメント (2)

スクール関係の写真を撮ってくれる塩川さんの写真は皆さんもよくご存知のことと思います。

暫く前は、ハイムの氏川君が撮っていた時代があります。

その前は、篠木真君でした。彼はロッジの地下室で現像から引き伸ばし、フレームの作成まで一人でやっていました。おそらく、岸会長のスキー写真の大半は彼の作品です。篠木君は山形でも東京でもスキー写真展をよく開いていました。永い間、ハイムに居ましたが、ある時期にちょっとした行き違いで蔵王を去りました。今も写真家としても写真集の出版などしています。東京の奥多摩に近いあきる野市に住んでいます。

その前はと言うと、パラダイスの時代です。この時代は西尾3兄弟が居ました。長兄の西尾俊昭さんは岸英三校長の写真や16mm映画を沢山撮影しました。東京でスキー映画の会を何度もやりました。しかし、西尾さんは40代を過ぎた頃にガンで亡くなりました。彼が撮った英三校長の写真が創刊されたばかりのスキージャーナル誌によく掲載されていました。古い鐵ちゃん先生の写真も西尾さんが撮りました。

渡邉鐡男:

スクールの写真関連の事、詳しく書いて頂きましたが、記憶が彷彿してきます。ハイムの氏川カメラマンの事はつい最近の事で知りませんが、三月の中頃、西尾俊昭氏との撮影現場での事が思い出されます。スクールの記録映画撮影時、西尾、阿久津〈その後プロカメラマン〉両氏と風邪気味の私と三人で天元台スキー場に出かけました。翌日ピーカンでしたが三月の中頃の天元台は-10℃もあり持って行った16mmカメラ(ボレックス)は寒さで固まってしまい焚き火で暖めながら作業が進められた。午後から深雪を求め、長い長いリフトを降り、反対側の深雪の斜面を5カットほど夢中に進み、気が付いて上を振り向くとかなり下りてしまった。既に暗くなり始め風邪の為体力の消耗も激しく、途中うずくまりながらやっとの思いでホテルにたどり着き、翌日蔵王に帰り高熱と西尾氏と阿久津の甲高い(モウチッチョウ!)の声にうなされ一週間ほど寝込んでしまった事を思い出されます。

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2008年01月12日 10:44に投稿されたエントリーのページです。

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