ゼロ戦と車とスキー

ゼロ式戦闘機は当時の最速の乗り物であった。しかもコントロールを持って前に進まなければならない。しかも、これだけは生と死がかかっていた。比較にはならないけれど車とスキーも正確なコントロールを持って進まなければならない。英三先生は生涯、この代物の名手だ。 T,W

ゼロ式戦闘機は当時の最速の乗り物であった。しかもコントロールを持って前に進まなければならない。しかも、これだけは生と死がかかっていた。比較にはならないけれど車とスキーも正確なコントロールを持って進まなければならない。英三先生は生涯、この代物の名手だ。 T,W

六月の末、「岸」「キシ」と英三先生を呼び捨てにする方が私のお店にこられた。未だ克って聞きなれないパターンなのでよく覗うと、海軍で同期のお方でした。お2人とも常ににこやかに、穏やかに時間をかみしめるかの様に歓談されていた。

1962/12月から1963/3月までクルッケンハウザー教授一行が来日された。あれから二度目のコーチ陣《バルトルノルマイル、シュバルツェンバッハ》が再度来日された時の講習前のスナップです。英三先生はこの時もアシスタントを勤められた。 写真はパラダイスゲレンデにて 渡邉

小雨の中、遅めのお昼を召し上がりにお店に現れ《こんな写真が出てきたゾ》と海軍の写真を持ってきてくれた。その裏には『時にはゆったり・ゆったり』海南嶋にて と記されていた。それにしても今の宏校長と瓜二つですネ。
訓練中のひと時。 これから搭乗するのであろうか彼のこんなに険しい表情は未だかって私は見たことがない。この写真の裏側には消えかかった鉛筆書きで『大空は我等の死場所』とある。 渡邉

戦争のさなか極限状態の中でのひと時の安堵、子犬の鼓動だけが大きく両手に伝わってくる。
英三
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