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02思い出 アーカイブ

2006年09月13日

1965年パラダイスロッジ

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蔵王パラダイスロッジ
1965年蔵王スキースクールはこの地で開校した。翌年このロッジの裏側に新館が増設され、その屋根裏部屋にスタッフも一部はシーズン中お世話になった。隙間風や吹雪が入り込み部屋中真っ白に成る時もあったが、しかし、各自帽子やほっかむりしてよく眠った。ある時、英三先生に鼠ヶ関港から半干しのハタハタが1俵届いた。幸い?校長室では焼くことができないので屋根裏の住人が電気ストーブを横にして焼いて毎日食べた。これほど美味なるものはなかった。壁に掛けていたセーター類はハタハタの匂いが染み込み、生徒さんには《今日も先生美味しい匂いですネ》とよく言われた。この部屋迄の梯子が垂直で部屋には女性や気の弱いものは入れない。しかし我々にとっては最高のネグラでした。

2006年09月15日

キッペンおばさん

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スケッチ岸英三


《キッペンおばさん》と呼ばれてた方がおりました。常にピンクのヤッケにダブダブの黒ズボンに帽子を深々とかぶり、肘まであるミトンをつけていた。彼女はレッスンには参加することはなく常に遠からず近からず我々レッスンを熱心に覗っていた。そしてレッスンが終わるとスーッと近づいてきて、(キッペンのことですが.........)と長々と質問をしてこられる。それが毎日毎回同じ質問をなされる。彼女はついに《キッペンおばさん》と呼ばれるようになった。ロッジには一ヶ月近く逗留なされていた。

2006年09月21日

緊張の開校

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July 24, 2006
45年前
 蔵王スキースクール開校時自分のカメラで撮ったガスの中での写真。当時、カメラテクニックもない頃なので人物確認もやっとだがほとんどの人がシルエットで解る。パラダイスロッジは既に解体されているが、建物全体の配置が今でも分かる。このロッジにはトニーザイラーも宿泊したことがある。ロビーには暖炉があり広く取られていて二階までの結構高い吹き抜けになっていた。又聞きだが、彼はその吹き抜けをアッと言う間によじ登ったとか。自分もトライしてみたが、足がかり、手がかりもない。考えられるのは30cmほどの丸柱のみで自分には到底無理な考えと気が付いた。

2006年09月25日

蔵王ヒュッテ

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蔵王ハイムスキースクール開校式はここ蔵王ヒュッテで行われた。初めての方々が30人ぐらい出席され岸校長の挨拶、ヒュッテの主でスキーの大先輩の堀修一さんが激励の挨拶がなされた。初めて食べるジンギスカン鍋で舌つつみをうちスクールの発展を誓い本拠地パラダイスロッジに乗り込んだ。
       (スケッチ岸英三)

2006年12月08日

開校前の研修

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 スクール開校もまじか、ブナ林を切り開いたパラダイスゲレンデでは全員真剣な研修が続いた。岸校長の「遅い」「登り方の早い者はうまくなる!!」の気合が早朝の唐沢に響く。昨夜渡された赤白に編みこまれたユニフオームの動きは童話の中の世界を覗いたようにも見えた。

トトコ先生

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 小柄ながら精力的な滑りをする。親切な指導力で生徒さんからも信頼が厚く親しまれていた。今は現役から離れ、東京駅地下の「花兄園」で実家のお手伝いをしていて店先では相変わらず人懐こい顔で迎えてくれる。


タッチン先生

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 タッチン先生は(真ん中の女性)オーストリースキー学校仕込だ。山椒はピリリと辛く、生徒さんの班分けから厳しい目で見ている。彼女の鈴のような声はどんなところで講習していても居場所が直ぐわかったものだ。      tetu

2007年04月07日

OB会設立の夜

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 右から岸マッコチャン、岸君、古関ちゃん今夜は無礼講。

2007年04月12日

上級コースのレッスンも終わって....

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 昭和43年頃、蔵王スキー場はスキーヤーでいっぱい。スキー用具や服装などがこの頃から変わりはじめました。この写真の締め具はまだラングリーメンで、スキー靴は編み上げでした。 
                  渡邉鐡男

2007年04月19日

晴天の上の台

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 昭和53年一月29日、晴天の上の台ゲレンデにて大阪友の会皆さんは岸英三校長、藤田拓朗先生の熱気のこもった講習を受ける。〈写真提供 川上敏男氏)

2007年04月21日

パラダイスの初滑り

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 期待に燃えた初滑り。ポーズをとって先ずはカメラに!!左からタッチン?近岡くん、一人置いて山崎くん?なような気がします。どなたかこのモデルわかりませんか?とても綺麗な写真です。

 

2007年04月23日

小川代司君

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 スクール開校2シーズン目、グループ講習も始まった。ブルーのウインドブレイカーを風にはためかせ先ず安全第一に生徒さんを指導した。グループには女性が半数いた。小川代司君は男性は勿論、特に女性の生徒さんに人気があった。(写真中央の青ヤッケ)

2007年04月27日

懐かしい蔵王ヒュッテ

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 かっこいいモデルは20代の堀修二くん。

 


2007年05月01日

北見からの便り

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 昨年、岸英三先生を囲むか会ではお世話になりました。懐かしい蔵王の山々と英三先生に会う喜びで24時間の長旅に出かけました。  思い出せば10数年間お世話になり、楽しかった事、また、いろいろな体験をさせて頂きました。そして北海道の仲間も一人、2人と集まりその者達にも夢を与えてくれました。今は亡き黒川さん村岡さん達もその一人だったと思います。健康でいる限り蔵王の滑りを忘れずに、心は白雪は白きが故に美しいもの........であり続けたいと思っています。
                           オー シーハイル      北見市 薩川和徳

初心者もこんなに上達しました

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  ご無沙汰しています。お変わり無くお元気にお過ごしのご様子、なによりと嬉しく、蔵王スキースクールHPを繰り返し眺めております。
なにやかにやと、いそがしぶって パソコンしばらく埃を被っていましたが、替地ちゃんから連絡を受け,懐かしい蔵王に想いを馳せております。
シーズン中は三日間だけしか滑れませんでしたが、幸いなことに毎日深雪で、すごく楽しみました。まだまだ婆様にならないぞ、とガンバッテいます。 鐵ちゃん先生、ありがとうございます。 
                                       羽部輝子

                 
                  

2007年05月02日

昭和45活気に満ちて・・・

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 蔵王ハイムスキースクールにはこんなに大勢の女性インストラクターが在籍していて、講習が始まると蔵王の山々は活気に満ていた。(渡邉談) 
写真提供 羽部輝子                    

2007年05月03日

陽気なインストラクター達

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 午前中二時間、午後2時間の講習が終わるとスクールの厳しい研修が始まる。体力的にかなりの厳しさがある。夕食もそこそこにその日の報告と明日の為のミーテングが始まる。このめまぐるしい日々を持続できるのはやはり底抜けに明るい陽気さなのかも知れない。                         写真提供 羽部輝子
            

2007年05月05日

懐かしい三人

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 大阪のニコンサロンで篠木カメラマンの写真展での風景です。右より石井さん多治比さん川上さんが見えます。蔵王スキースクール大阪友の会は大勢で蔵王に来られエキスパートクラスの猛特訓されます。  (渡邉)     


2007年05月15日

1979年蔵王

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 第11回インタースキーが蔵王で開催(参加23カ国)。日本からは2.520名(デモンストレーター30名)が参加。この期間多忙な毎日の岸英三校長。売店で一息をつく。   《渡邉談》   

2007年05月17日

ルッキー

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名手ルッキーは半分日本人みたいなやつ。 《岸英三談》

ルッキーと英三先生

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2007年06月03日

1977年大阪友の会

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昭和52年中央ゲレンデにて 中央の上でこんな立派な樹氷が有ったのですね.
(コメント、写真提供川上敏男氏)

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2007年07月04日

突然・・・・・・

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スクール開校前年、12月20日頃からパラダイスロッジの生活を始めていた。クリスマスには続々とお客様がお出でになり、ほぼ満室になり我々も客室から屋根裏に移動しなければならなかった。ロッジのレストランも盛況で我々も隅っこで慣れない手つきで夕飯を取っていた。と、突然・・・・・・大声で♪ハッピバースデイツー・・・・・・・の歌声が聞こえた。よく見ると、西洋の方で、父が男の子の誕生日ために立ち上がって歌い出したのです。客席の皆様は何故かシーンと静まり返っていたが、あの時何故、祝福の拍手ぐらい出来なかったのかと、心に残る。

2007年07月06日

霧氷を背に

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1971年ごろ白樺の木に見事な霧氷が朝日に輝いて小川のよっちゃんもますます輝いて生徒さんとのワンショット。

2007年07月11日

談笑

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杉山君とも25年振りかな?相変わらず元気で快活、そういえば彼は英語が得意で、外人との折衝彼をよくやってもらった。残念ながら彼の滑りは見たかとがなかったけど、周りの話を聞くと、「とてもエレガンスにそつのない滑り」とか。

2007年07月15日

ある晴れた日

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 晴天の日は生徒さんも少ない。休養日に当たった幸運なこの三人は山頂に向かう。山頂からは鳥海山までも良く見渡せる。一月のある日、大塚大さんという名の通った写真家が蔵王の晴天を狙って一週間程来られたことがあった。しかし一度もシャッターチャンスがなく重い機材を背負って残念そうに帰られた事があった。それにしてもこの女性インストラクターの三人、幸せそうですネ。《写真投稿吉村輝子》

   

2007年07月19日

スクール開校前年

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 オーストリー留学の英三先生の留守を預かり、120日間、パラダイスに生徒指導をしながら篭っていた。スキー指導の方針も儘ならず先生の帰国を心待ちにしていた毎日で、ストレスも溜まるばかり。夕暮れゲレンデに人気のないところを見計り、カラサワを真っ直ぐ滑り、派出所前のアップヒルを30m程飛んではストレス解消にしていた気がする。あの派出所とアップヒル今でもあるだろうか・・・・・?。


2007年08月17日

山腰前〈ヤマコシマエ〉

 
1963年オーストリアからの教育使節団が来日、その後二度目の来日が実現し、蔵王でも講習会が開かれ沢山の日本の指導者が参加されていた。この時の指導は山腰前〈ヤマコシマエ〉が強調されていた。  上ノ台ゲレンデの山腰前を強調された力強くしなやかなノイマイヤー氏のフオーム


2007年08月22日

今日の講習も終わりこれからフリータイム

 大久保くん、稲毛くんの懐かしい顔。今日は天気もいいし思い切り飛ばして来るかナ・・・・・。

2007年08月30日

川西のコセキちゃんより・・・・・

 残暑お見舞い有難う!。相変わらずお元気そうで安心です。あの頃のロッジ蔵王スキースクールは来る日も来る日も忙しかったネ。フロントの手違いで我々のベットもなく、窓のカーテンに包まり食堂のテーブルの上で一夜を過ごした事が何日も有った。人手も少なくコセキちゃんには随分応援を頼んだ。彼は体力に任せ嫌な雑用も難なくこなしてくれた。大変助かりました。写真右から3人目の若き日の古関君

2007年09月07日

一般講習

 10時には一般講習の始まる前に初級、中級、上級の班分けが始まる。

2007年09月15日

SAJバッジテスト

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 バッジテストの受験生は朝から緊張する。検定の先生方もこの旗の下から緊張する。このスクールからは1級合格者は毎回1人~2人ぐらい。キビシイ!その分ここからの合格者は箔がつく。   ~昭和49年頃~

2007年09月16日

初級レッスンスタート

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 兄さん達とレッスンスタートしました。直滑降から・・・・慎重に行きます。

2007年09月20日

スキースクールレッスン風景 2 

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 スキーが邪魔で・・・上手くいかないョ・・・・・昭和50年ごろ

2007年09月25日

スキースクールレッスン風景 3

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 ・・・・・また転んでしまった!。ダレカタスケテヨ~ワタシにはスキーの才能がないのかしら・・・
ブブンチョ先生オコシテクダサイ・・・・  昭和50年頃

2007年09月29日

レッスン風景 4

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ブブンチョ先生~!ワタシモウダメデス・・・・カッテニヤッテクダサイ!!オナカスイタョ!
 

2007年10月11日

レッスン風景5

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  こんなに上手くなりました。先生のシュプールをたどり先生の動作を見る余裕も出てきました。春休みにはヘルメットを付けこどもスクールに入ってガンガン滑ろう!

2007年10月27日

レッスン風景6

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 二日目ですがこんなに上手くなりました。明日はヘルメットを付けてもう少し難しい斜面に挑戦したいと思います。

レッスン風景7

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お姉さん達には負けられません!。それにしても花邑先生カッコイイ。先生の通りやれば上手くなる筈。

2007年10月31日

ヘルメットがカッコイイ

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 今日の蔵王ハイムSSのちびっ子軍団はヘルメットがマブシイ。地蔵からザンゲ、大平を制覇の予定。
もろこし幹子先生、お手柔らかに!

2007年11月03日

ヘルメットがカッコイイⅡ

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 蔵王ハイムSSちびっ子軍団は日頃の練習の成果を発揮して晴天の地蔵岳に向かいます。出発前、緊張の為オシッコも近い子もいますが安全第一で頑張ろう。

2007年11月13日

シーハイル

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 今日の講習これで終わりました。プルークボーゲンも出来るようになり蔵王の山々を征服した気分です。明日も晴れるといいネ!!

2007年12月27日

くつろぎ

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スクール開校の年の12月末、英三先生も帰国されパラダイスロッジには日増しにお客さまが増え、それに伴いベットルームから大広間へ、そして屋根裏部屋へと移動した。はこの写真は明石君(旧姓小川)小野君(旧姓石川)海東君は最後の大広間で、贅沢にもビールなどを飲んでくつろいでいます。

2008年01月15日

赤面の至り

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レッスン中の大変な事はレッスン前に水分の取り過ぎで小水が模様した時である。ある風の強い日、シーズンに珍しい女子高の生徒さんを5~6名持ったときである。張り切って言葉使いなども気取ってはじめたところ、暗に違わず小水を猛烈に模様、仕方なく生徒さんに緊急事態ありと断り「ここから絶対動かないように」と指示し大急ぎでブナ林に滑り込み風上45度で放水、フッー・・・と一息付いてふと後ろを振り向くと・・・・ゲレンデにいたはずの彼女達が真後ろに一列になって怪訝そうな顔で立っていました。あの時の生徒さん達ゴメンナサイ

2008年01月26日

皆さん元気してるかな・・・

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スクール開校した年の暑い夏、スタッフ一同で荘内の鼠ヶ関で反省会も兼ね集合した。湾内で水上スキーなど楽しみ泊まりは雑魚寝で寝ぼけ顔の皆様です。反省会は・・反省ばかり。

2008年02月16日

夕飯も忘れ・・・

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昭和40年頃、懐かしいレッスン終了後パラダイスゲレンデでのワンショットです。左から伊藤尚一、沢木(生徒さん)、私、武智麗子(タッチン )です。この写真を見るとカラサワの壁と山宝荒神の頂が目に焼きついています。英三先生には手を繋ぎ調子を合わせて下まで滑る課題を与えられ暗くなっても合わず、夕飯にありつけなかった苦い思い出もあります。〈9時ごろまで・・) 急斜面のターンも大切だけれど緩斜面のスピードコントロールも必要である。と指導された事も忘れない。
                                    赤石代司(旧姓小川)        

2008年02月17日

手をつないでパラレル

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平成14年研修に蔵王に訪れた時、英三先生を表敬訪問しました。パラダイス菖蒲沼ゲレンデであの頃タッチン達と夢中になって練習した地に立ち仲間と楽しく再現して見ました。スキーのコントロールは今も課題で当時のレッスン方法は今も生かされています。(写真左から鉛スキー学校主任講師佐藤祥二、筆者、校長の藤本一宏)      赤石代司(旧姓小川)
    

2008年04月17日

1964東京オリンピック

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 日本中を走った聖火リレーはわが町(湯沢市)を走りぬけ山形に向かった。秋田県境にある雄勝トンネルを抜け出したランナーはスクールの乾燥室で働いていた事のある藤田昭一君。

2008年04月22日

東京オリンピックⅡ

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 44年前、1964東京オリンピック開会式前日、思わぬところから開会式のチケットが手に入り愛機ミノルタを片手に夜行列車に飛び乗った。早朝会場には人影もなく入り口付近でウロウロしていると新聞社に勤めていた同級生の奥山君とバッタリ出くわした。こんなに早く来なくてもいいのに・・・・・と思われたような気がした。が、つい最近彼に確かめると会った記憶がないという。 座席は聖火台の左隣で周辺外国の方で埋め尽くされていた。その年のシーズン、スキースクール開校の為の準備で英三先生留守のパラダイスロッヂに入った。

2008年04月23日

蔵王のシーズンオフ

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この年、吉永さんは岸宏の後をついて滑っていました。そして、3月の末日に吉
永さんは東京に帰りました。その翌日、4月1日にスクールの若い者が「宏さん、
吉永さんからお電話です」と宏を呼びに行きました。

宏はそれは嬉しそうな顔をして2階から降りてきました。昨日までのお礼の電話
でもかかったと思い、受話器をとりあげ「もしもし」・・・

何の返答もありません。切れてしまったのでしょうか。
いえ、宏はエイプリルフールに引っかけられてしまったのです。いやぁ?、見事
なもんでした。22年も前の話です。
若山邦紘

2008年04月28日

1964東京オリンピックⅢ

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開会式場には何時間立ち尽くしたであろうか最後に日本の選手団が足並みを揃え入場してきた。グランドサイドのグリーンの箱は何だろうとなぜか気になっていたけれど終了時に鳩が数百匹放たれた。

2008年09月08日

直滑降

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蔵王の晴れた日は気持ちが良い。英三校長は一人でレッスン場を見回りスタッフの指導法などを厳しい目でチェツクし夜のミーテングに掛けられ時には漫画で説明緊張をほごす。ゲレンデにはいろいろな人が思い思いの滑りを楽しんでいています。

2009年03月17日

OB会

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平成18年金山町にてOB会には北海道から亀岡哲朗氏一行三人が参加してくれた時のワンショットです。本当に遠路から参加していただき感謝しています。何年振りのOB会で準備やらでガタガタのうちに終ってしまいましたが薩川氏ともどもお話の機会がなかった事を残念に思います。 渡邉鐵男

2009年06月02日

懐かしい唐沢

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酒田の小島君からA4に引き伸ばされた地蔵から三宝荒神、パラダイスゲレンデに至る素晴らしい写真が送られて来た。パラダイスロッジは既になく、コースは綺麗に整備されているが懐かしい山々は変わりない。居眠りをして落ちてしまい係員にお叱りを受けた山交リフトも健在です。手前にある小屋は何だろう?・・・

2009年06月21日

三五郎小屋

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酒田の小島善一君から早目の暑中見舞いが来た。この建物は新しく建て替えられた三五郎小屋ですね。当時の三五郎小屋は若いスキーヤーが多く熱気に溢れていて馴染みのスキーヤーが沢山居ました。

2009年07月03日

天元台スキー場

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 花巻市に住む赤石代司君(旧姓小川)から写真同封で下記の懐かしい天元台スキー場での思い出が送られてきた。

  前略 日曜日のNHKで熱くなっている米沢ですが、私には白布高湯、西吾妻、天元台が思い出されてなりません。当時、岸英三校長から「天元台にスキースクール」を作るので小野匡義(旧姓石川)と2人が派遣を命じられた。1965年白布高湯からケーブルで登ると、広々としたゲレンデには吾妻ロッジが一軒あり、土日以外はまばらなスキーヤーが思う存分楽しんでいた。長いリフトの終点には奇怪な樹氷が迎えてくれ、アスピリンスノーの深雪レッスンは思いのまま...ロッジの支配人の島貫誠さんには大変お世話になりました。 この写真は1985年頃、スキー場オープン20周年記念に参加した時のものです。後列の島貫誠さん皆川ゆきみさん中山勝男さんはお元気でしょうか?機会があればお会いしたいものです。                           花巻市 赤石代司

2010年01月13日

捜索

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開校当時、PM 7;00頃樹氷原に取り残されたスキーヤーの報が入り、生まれて始めての捜索に出かけたことがあった。暗闇の樹氷原は怖い。樹氷の根元に人がうずくまっているかに見えるが雪の塊であったり、呻き声がしたような気がしたり、とても心細い経験でした。    写真提供  岸真氏
    

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